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【海に眠るダイヤモンド】端島(軍艦島)の海底炭鉱とは?

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端島(軍艦島)の海底炭鉱とは?
Akatsukingが撮影した画像(加工して掲載)

10月スタートのTBS日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」は、1955年の長崎県の端島(軍艦島)という炭鉱の島と現代の東京を舞台にしたドラマです。長崎県の端島(軍艦島)は実際に存在する島で、明治~昭和時代にかけて炭鉱で栄えた島です。炭鉱と言ってもこの小さな島の中に石炭の鉱山があるわけではありません。端島(軍艦島) で行われていたのは海底炭鉱と呼ばれるものです。長崎県の端島(軍艦島)の海底炭鉱とはどのようなものなのか? 解説します。

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目次

【海に眠るダイヤモンド】端島(軍艦島)の海底炭鉱とは?

Parilovが撮影した画像(加工して掲載)

通常、石炭鉱山は、地表で露天掘りするか、または地下を掘って石炭を採掘する施設です。機械や人力によって坑道を掘り、石炭の地層にアクセスして石炭を採掘します。石炭は、かつてはエネルギー源や工業原料として活用され主要産業でしたが、石油エネルギーが主流となった事、また環境悪化の懸念から現在は石炭の採掘は縮小傾向にあります。

ドラマの舞台となる長崎県の端島(軍艦島) にその採掘現場が広がっているわけではなく、長崎県の端島(軍艦島)の炭鉱は海底炭鉱と呼ばれていました。島を囲む海底の大陸棚の地下部分に、2キロ四方以上にわたって坑道を掘り、石炭を採掘していました。

長崎県の端島(軍艦島)の
海底坑道の断面図が以下になります。

端島(軍艦島)海底炭鉱断面図
端島(軍艦島)海底炭鉱断面図/資料:鉱業所資料
画像出典:一般財団法人エンジニアリング協会「端島炭鉱(軍艦島)」より(一部加工して掲載)

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端島(軍艦島) 島内にあるの竪坑から垂直に2階建てのエレベーターに鉱員(炭鉱夫)がぎゅうぎゅう詰めにされ、約350~600メートル降下した後、水平方向に移動して、石炭の地層にアクセス。石炭の地層を追いかけるように斜めに深く深く掘り進み、地層なりに進み約1100メートルの深さまで採掘していました。(※端島主要坑道)

上図の断面図を、平面として俯瞰した図が以下になります。
坑道を使って採掘場にアクセスして、下記の点線の内側を全て採掘していたわけですから、かなりの石炭を採掘していたわけです。海底の岩盤の下を掘り進んでいたわけですから、危険も伴いますよね。地下の採掘場は常にガス爆発の危険性がありました。鉱員(炭鉱夫)たちは、気温30℃、湿度95%という過酷な環境で採掘作業に当たっていました。

※上図の断面は下記のオレンジ色のラインで切ったものです。

端島(軍艦島)海底炭鉱区領域図
端島(軍艦島)海底炭鉱区領域図/資料:鉱業所資料
長崎市発行「軍艦島」リーフレットより(加工して掲載)

1810年江戸時代後期に端島(軍艦島) で石炭が発見され当時は佐賀藩が小さな規模で石炭を採掘していましたが、1890年(明治23年)に、三菱合資会社が端島(軍艦島)の石炭採掘権を取得、本格的な海底炭鉱が操業しました。年間石炭産出量は約25万トンでした。

端島(軍艦島) の石炭は良質で、日本の製鉄産業に欠かす事が出来ない現両端で、主に八幡製鉄所で使われました。当時の日本はまだ先進国とは言えない状況でしたが、端島(軍艦島)の石炭が、日本の製鉄業を支え、日本を近代化に導きました。

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当時の端島(軍艦島)の海底炭鉱で働く鉱員たちの様子

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